‎冨田 佳信‎ ― GifuPhotoグループ 2017年7月31日 大垣祭り 玉の井軕 船町 このやまは、初めは石曳やまで、大垣城の石垣を積む折、赤坂の金生山で採取した石を運ぶ車を改造し、やまにしたところからこう呼ばれました。  その後、江戸中期に石曳やまに変わって登場したのが、一層中壇の前やまに天女の人形を置き、二層のやまの屋形に彦火火出見命の人形を安置し、その前で赤面竜神人形が舞をするからくりやまでした。  しかし、文化12年(1815年)の大洪水で大破し、後に改造され、現在は少女の躍りを披露する善美を尽くした芸やまに変わり、舞台で子どもによる舞踊を披露し、観客の目を楽しませてくれてます。

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